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この時評では基本的に雑誌や書籍、イベントにおける短歌の話題を拾ってきた。今回はここ数か月の間にインターネットで(というか主にX:旧Twitterで)話題に上ったトピックをウォッチしたい(インターネットの話題はみんなすぐに忘れてしまうので、記録に残したい)。年末ごろから二月中旬までに私の観測範囲で盛り上がっていたのは、①在野の文学研究者である荒木優太を中心とした、詩はわからないから価値がない問題、②アーティスト松田将英による短歌・俳句へのリスペクトに欠けたサンプリング作品《Bashō Sampling》とそれに関するウェブ版「美術手帖」編集長橋爪勇介による詩歌人を軽んじる発言問題、③かっこよくない筆名の歌人が多い問題、④新人賞連作ハック問題、⑤作中主体という批評用語曖昧問題などである。
問題と書いたが、実際のところはイシューというほどの展開はなく、ただ各々が話題に対して一言言及するくらいである。いま挙げたうち①と②はそこまで短歌が中心の話題ではないから、③・④・⑤について少し詳しく述べる。
③の「かっこよくない筆名の歌人が多い問題」は瀬口真司のポストがきっかけだ。ダジャレのような筆名で短歌を発表する歌人が多く出現するようになったここ数年が背景にあるのだろう。シンプルなようで意外と含意のある話題に思われたが、Xでの受け止められ方は大方否定的だった。他者の「名」について批評的視座を持つこと自体が「大きなお世話」ととらえられ、そこで展開が止まった様である。
④の「新人賞連作ハック問題」は、松たかコンヌによる第三十六回歌壇賞受賞作(津島ひたち)への感想ブログが発端のようだ。同ブログ内では、受賞作を「超完璧な新人賞ハック連作だ」と評し、その根拠を並べている。だが実態は〈ハック〉という語に似合わず、受賞作は従来的に新人賞において巧いとされるアプローチに正面から取り組んでいる様だった(そのことの是非はまた別)。ハックと言うからには賞の実力主義・神秘主義の両面を毀損してなんぼだろうが、どちらも取り立てて揺らいでいないというのがX上での主な反応だった。
⑤の「作中主体という批評用語曖昧問題」は進行形で話題になっている。これも既にさんざん短歌批評の蓄積があるが、今回あらためてその議論の蓄積に我々はアクセスしづらいこと、短歌批評のまとめがあまり行われておらず、共通認識が曖昧であることがタイムラインから浮き彫りになった。学部生レベルの物語論は短歌作者間に随分浸透している印象を個人的には抱いており、読みの理論について広い世代で話せる機会が欲しいところである。これからもインターネットに注目!
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