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 「五月に刊行された「現代短歌 No.109」で、「タイムスリップ194X」という特集が組まれている。「終戦80年を迎える今年、ある朝めざめると、あなたは戦時下にタイムスリップしていました。あなたが今置かれている状況(シナリオ)を記し、その状況下で12首を構成してください」という依頼に歌人たちが応じたものだ。
 新緑をなびかせ渡りくる風のふたたびを生えずこの右脚は
                    松村正直
 警報のふいにし鳴れば子どもらは田に隠れたりみどりが隠す
                    富田睦子
 松村は戦闘で負傷した兵士として詠った。富田は他者に成り代わるのではなく、タイムスリップした先で若かりし頃の祖母に助けられた本人として詠う。他、参加した歌人は二十名。それぞれに臨場感と説得力がある連作だ。
 千種創一の歌集『あやとり』に収められた「つぐ」という一連にも注目したい。千種は学徒動員中に空襲で同級生を亡くした自らの祖母に丹念に取材を重ね、一首一首の歌で回想を代弁する。
 黒煙の奥に か み さ ま っちゅう声が血の色をして旗めいとった
 先生は拭いて化粧をしたったげな、遺体に。その手拭いの冷たさ
 戦争に巻き込まれたことがない(と思っている)「非当事者」は、戦争にどのように向き合えばよいのだろう。正解はない。ないけれど、誠実に向き合い、模索を続けている歌人たちの姿がこれらの作品から立ち上がってくる。
 戦争や大きな災害、厄災が起こる度に、歌人たちが一斉にそれらを詠い出す。既に誰もが何度も目にしている歌壇の景色である。自身が「当事者」でなかったとしても他人事とせず、冷静にかつ詩的に多くの「当事者」の心情を代弁する優れた作品は、関心の薄い「非当事者」の心にも強く訴えかける。そして、「当事者」の心がその一首によって救われることも、実際にある。一方で、「みんながやっているから自分も詠ってみました」という軽薄な心理が透けて見える作品があるのも事実だ。そんな作品――「当事者」たちが恐怖や悲しみに向き合わざるを得ない時に、スマホを片手に快適なリビングルームで視聴した映像を短歌の韻律に落とし込みました、というような――は、傷ついた「当事者」たちをさらに深く傷つける。端的に言って醜悪だと思う。そういった歌が大量に並ぶ様は、「題詠大会」と皮肉られてきた。
 この夏、私たちは「戦後80年」をテーマとした歌を昨年以上にたくさん読むことになるだろう。作者に問われるのは、何をどう詠ったか、ではない。「当事者」に対する誠実さと、作品成立までの模索の過程である。