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清輔と俊成の判詞
  
 保元、平治の乱がおさまると再び和歌の会が盛んになる。清輔はすでに『袋草紙』上下の著作をもち、歌人としてだけでなく、歌学者としての大きな名声を得ていた。『袋草紙』の上巻は歌会のさまざまな場面でのありよう、下巻は歌合の場の装束のありようをはじめとして、諸道具の置きようなど細微にわたる有職故実である。読み物としても魅力的なのは、上下ともに具体的な歌の場面が逸話としても面白く、歌説話集としても楽しめる。清輔はこうした歌学者としての功績により昇殿を許された。応保二年(一一六二)たいへんな名誉といえる。このことは『袋草紙』上巻にも特筆して、高位の貴人達から賞賛されたことで面目をほどこした喜びがかかれている。
 一方、清輔より十歳若い俊成は官僚としての昇進にも心を用いていた。仁安二年(一一六七)正三位に叙され、後白河院の院司に補された。名も俊成と改めている。また、この年九条家の兼実は若干十九歳で右大臣となった。天下は清盛の意のままの時代の下で、このうら若い右大臣は、和歌に関心を寄せ、清輔の歌評に学ぶことが多いと思ったのであろう。右大臣家の歌会や連歌の判者には清輔がむかえ入れられ、実質的に和歌の師となった。
 安元元年十月十日、右大臣家歌合の判者はもちろん清輔である。その判のことばを見てみよう。はじめの題は「落葉」、その一番は左大弐卿重家と右頼政が合せられた。歌合の一番は左方に勝判が下される約束があるので、重家の勝ははじめから決っている。しかし、それほどよくもないのに勝とする判詞もむずかしい時もあったであろう。歌と判詞を見てみよう。
  左 勝                  大弐卿
 木枯の吹きにし日より立田川紅葉になれる浪の音かな
  右                    頼政朝臣
 散らしてもなほ吹く風は幾度(たび)か楢(なら)の枯葉を返しゆくらん
  左歌、あしくも侍らず。右歌もあしからねど、かみおろしの句に「散らしても」と侍る。「風」先(さき)にあらまほし。
 つまり、右歌の初句の「散らしても」はよくない。「風」ということばを先に出すべきだと言っている。


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