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 先月取り上げた中城ふみ子と同時期に第一歌集を出した女性がいる。三国玲子だ。中城より二歳年下の一九二四年生まれ。この時期、戦後活躍した女性歌人が多く生まれている。大西民子一九二四年、富小路禎子一九二六年、尾崎左永子一九二七年、馬場あき子一九二八年。彼女たちが短歌と本格的に関わり始め、年齢的に華やぐ時期であった時期はしかし、戦後であった。物資は限られ男性は戦争へ行き、明日生きることさえままならない不穏な時期であり、華やぎからは程遠い青春だった。自らのなかに強い何かを持たなければ「今」を乗り越えられなかったに違いない。
  わが縫ひし服著て通る人あれば高き窓より見つつ楽しき
                    『空を指す枝』
 中城と同時期に出た三国の第一歌集『空を指す枝』は素直な人間性を清廉に表現したとして、好意的に受け入れられた。しかし三国本人は、中城の人間的不幸を素材としながら熾烈に立ち向かった歌への覚悟に対し、これが短歌であるのならば、私の作るものは短歌ではない、と自信を喪失しかけたという。
 第一歌集の後には、六〇年安保の時期の社会的な視点による作品を経て、実生活に身を置いた視点から堅実に詠んだ。一九八七年『サラダ記念日』発売の年には、その前年に出した第六歌集『鏡壁』で現代短歌女流賞を受賞し歌人としてのピークを迎えつつあったが、同年自裁した。鬱病での入院歴もあった。自立心の強い理知的な人であり、女性として戦後のより自活の困難な状況の中、得意でなかった洋裁や、のちに出版社の編集者として、病がちな夫を支え続けた意志の強さと理性は次の作品にも表れている。
  本一冊編み終へたりし充足も醒めつつ夜半の桜を仰ぐ
                       『蓮歩』
 しかし、同時期に生まれ、戦後を活躍した他の女性歌人に較べ、三国の歌は現在において広く親しまれているとは言えず、その存在も置き去りにされているように感じる。
  人形が刻を奏づる街となりわれら戦後をいつまでか負ふ
                   『翡翠のひかり』
 後期の三国は、自らの内面を見つめ、後にバブル期と言われた当時の風潮と冷静に距離を取りつつ堅実なスタンスは崩さぬ姿勢を取った。そこに苦しさもあったのではないかと思う。また、精神的な支柱であった亡き師と亡き父を繰り返し偲んで詠った。戦後という時代を知る一人の人間がその生において見つめ通したものは何だったのか。三国のみならず、当時の女性歌人の作品を通して考えてみたいことだ。彼女たちが抱えていた錘のようなもの、それは決して今の時代に解決されてはおらず、私たちの時代にも引き続いている。それを読み伝えてゆくことが必要だ。