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 昨年十一月に「OCTO」というアンソロジーが出された。その中のいくつかの作品に不思議な感じを受けた。卑俗な感じのする言葉、不快をもたらす表現があっさりと使われているからである。
  霜降りの肉は若人(わこうど) このごろのわれは赤身のこころとなりぬ
  遠藤由季
  魚のわた指のはらにて掻き出だし不思議いのちの高揚のあり
  富田睦子
  ガラスの器にすべる豆腐はじっとりと腰から崩れて真夏をとじる
  井上久美子
 遠藤の歌は年齢の実感なのだが、生肉の名称を比喩として用い、意表をつく。富田作品は魚をさばく場面で、指でわたを掻き出すというグロテスクな厨事に高揚を感じている。井上作品では豆腐が崩れるさまが、人間がすこしずつ頽れるイメージとなる。
 それぞれ、うつくしいものに飽き飽きした感性があり、不快をもたらす言葉を静謐なものに転換させてゆく。肉、魚のわたの感触、崩れる豆腐の即物的な感じ、くらしの猥雑なものにインパクトがある。それなのに静かな内向的な印象も受ける。そのような事物が平準化されて使われるところに起因し、そこに特色もあるようだ。
 「OCTO」は一九七三年生まれ四十五歳の歌人八人の七十三首ずつが載せられている。同年生まれで集まったことからは昭和十九年の会の『モンキートレイン』が思われ、女性だけということから、一九六五年の合同歌集『彩 女流五人』が思い出された。それらと比べると、容易に発表の場を創出できる時代のアンソロジーであるため、評価を減じる向きもあるが、意欲的な企画と感じられた。
 不快をもたらす表現が気になり、「短歌」一月号の「新春79歌人大競詠」から探してみた。
  おかしけれ黴のはえたるチーズなど驚かず食う深夜の我は
  大島史洋
  後期高齢者も人間なれば進化する頻尿も涙目も特技のひとつ
  杜澤光一郎
  カニの脚解凍しつつ祝膳に切り離されたものを積むこと
  梅内美華子
  水面に立ち上がる猩猩蠅は俺のコップを怨んでいるか
  佐佐木定綱
 大島、杜澤作品は、「黴」「頻尿」などの言葉の負のイメージを前提に、意図的に肯定していく形だ。梅内作品は反対に、人間の飲食のなかに当たり前に見ているものから、恐怖や不快を抉り出す。
 佐佐木の作品は、先にあげた遠藤らのうたと少し似ている。小さくて鬱陶しい「猩猩蠅」を平静に見つめ、哀れさに心寄せする。美意識の変化というより、ものへの近接の仕方が違っている、そんな思いが湧いた。

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