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 「NHK短歌」ではこの春から「歌会ウオッチング」という、小さなコーナーが始まり、かりん東京歌会にも、取材の人が訪れた。角川「短歌」三月号でも「歌会に行こう」という特集が組まれた。歌会のありかたに注目が集まっているようだ。
 「現代短歌」六月号の時評で、北村早紀が「「批評」怪獣にならないために」というタイトルで歌会の批評の仕方について書いている。昨夏のツイッターでの「歌会こわい論争」を、朝日新聞の短歌時評で大辻隆弘がとりあげたことを基点にする。歌会がこわいというのは若い初心の人の悩みで、総合誌で取り上げる人はほとんどいなかった。しかし、大学短歌会が増え、若い歌人が増えるなか、ツイッターやネットでかなりの盛りあがりを見せた。ネットでの意見表明をたどるのは困難であるが、「リアル歌会」がこわいという投稿に共感と反論が巻き起こり、また批評とはという議論に移行したという。昨年を振り返ってみると、角川「短歌」が七月号に、新人編集者の「水甕」の歌会体験記、「現代短歌」七月号では内山晶太が「歌会の罠」という時評を書いている。
 ネット上での歌会の記録をいくつか覗いてみたことがある。管見に過ぎないが、ツイッターのいう「リアル歌会」から比べるなら、正直、味気なかった。巧みな賛辞ばかりが目立つからであった。賛辞になれてしまって、厳しい批評がある歌会は怖いのだ。
 ネット上の歌会のほうがむしろこわい。ピント外れの歌評も、こだわりすぎの歌評も、あとから読めるということになると、後味の悪さはずっと続く。相手の顔が見えず、意見を書き込むのにもどかしい思いもあるだろう。だからほめるのだ。機器が進歩し、運営や参加の仕方に習熟すれば、味気なさは消えるかもしれないが、今は本当の歌会に出かけていくほうが面白い。結社のネット歌会は地方に住み、歌会に参加できない人が批評に触れるのにいい機会でもある。全国大会への参加や支部歌会の立ち上げに移行する契機と位置付けるほうがいいだろう。
 北村は人格を攻撃する感情的な批評はすべきでないと書くが、褒めるのが目的の歌会では厳しい批評をしても仕方ないと締めくくる。それは歌会といえるであろうか。「リアル歌会」も賛辞ばかりでは面白くない。人格と作歌態度は分かちがたくて、そこを突かれる批評もありうる。
 歌会が怖いのは当然である。歌評は、自分の立場表明でもあるからだ。作歌姿勢があらわになる。大変良いお歌でなどと簡単に言っていられない緊張がある。本当のところをぶつけ合う中で、化学反応を起こす。そんな歌会が理想なのだが。