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石垣島万花艶ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ
『南島』平成三年十一月刊
 対談というのが苦手(にがて)である。その人とあまり話したことがない場合は誰も同じだろうが、そういう時も場面を上手に盛り上げるのが楽しいという人もある。しかし反対にあまり親しすぎて、言葉の裏まで見えるような場面では、ついしゃべりすぎて失敗を演ずることしばしばで、ゲラをみて反省するものの、またやってしまうという悪癖はいつまでたってもなおらない。
 この歌は昭和六十二年三月下旬、谷川健一さんの一行に加わり沖縄七島をめぐって帰ってきた直後の四月一日から同月三十日間の目録として詠まれた三十一首で、季刊「現代短歌雁」に掲載された。こういう企画で詠むのははじめてのこと。一日一日、今日詠むべきことは?と考えてみると、それまで伸びたゴムのように何となく過ごしてきた日日が俄かにつまらなく思えてきた。大発見であった。
 これは四月八日、岡野弘彦さんとの対談があった夜。ああ、やっぱり何か余計なことを多くしゃべっていたような気がすると、羞かしさに身が熱くなってきたのだ。対談のあとはいつもこうだ。少し前の日にはこんな歌がある。
 「ああ桜ちるよ散るよと惜しむらく青春も過ぎ壮春も過ぐ」「たのみあるつはものばらかあらざるか桜散る夜の雑談(ざふだん)の酒」。口から出まかせのようにうたっている。対談とはちがって「雑談」の座はいつも楽しい。多少無責任に、互いに言いたいことを言って許しあっている夜のお酒が一番おいしかった時期。桜の花が散るように言葉の花が散り、放言の中に真があるなどと驕り高ぶっていた時間。まさにそうして青春も過ぎ壮年の春も過ぎようとしていた。反省や後悔なんかしない、今だけがいのちだなんて思っていることが、もしかしたら誰にでもある最良の時期なのだろう。
 また「男らに先人先師先輩のありて頼もしまた鬱陶し」ともうたっている。女にはない人間関係である。「なぜだろう」と思うのは、あるいは私の狭い体験の歪みや後進性なのかもしれないが。まあしかし、その関係も鬱陶しいか。

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