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捨て船と捨て船結ぶもがり縄この世ふぶけば荒寥の砂 |
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『ふぶき浜』昭和五十六年刊 |
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先号にもかいているが、身近の老人問題をどのようにうたうかはまだ一般化しておらず、工夫と選択の余地があった時代だった。近い歌友としては武川忠一さんが、現実に肉迫しつつ詠んでいたが、私はその方法をとらなかった。むしろ、受け手の気分に反映させて詠む方が、やや抽象的ながら、対象の人格を傷つけないように思われたからだ。
散文的にこの歌の状況をいえば、いろいろの人のお世話になった。元同僚の夫君は東大の精神科医でいらしたが、そのお世話を頂いて、千葉県旭市のキリスト教関係の経営になる施設に入居させていただいたが、そこが大晦日から正月三日までは休園となるので、その間四日程を、田村広志さんの斡旋によって外房の海辺の宿を転々と泊りあるくことになっていた。結婚後二人で旅した房総の春の海浜は楽しかったが、冬の外海はきびしい浪も風も寒く、砂浜は乾いて荒寥としていた。船も乾ききってほとんど捨て船としかみえなかったのは、世間から見放されたような自分たちそのもののように思われたからであろう。
「もがり縄」とは辞書的には「強請(もがり)縄」とかかれるとおり、ゆすり、たかりの悪人が、止め縄を張るところからきている。人をただでは通さない縄張りだが、そんな非情な縄の一筋を船と船とで結び止めた縄の景に使ってみた。「この世ふぶけば」が大げさにひびくかもしれないが、一種の心情表現である。
こはいつの放浪無残老耄の母がみている海の夜の雪
荒布場(あらめば)の吹雪ぞひくきもがり泣き放(はぶ)れ心ぞやすらわぬかな
降りしまく雪に船焼く浜みえてはやいず方の方位もあらぬ
こんな歌が同時に作られている。房総の海は吹雪くことはめったにないが、心情的には黒川能に通うため毎冬体験する日本海の吹雪がイメージされている。
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