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麻の葉に雨降る姉といもうとの遠世がたりに朝の雨降る |
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『雪鬼華麗』昭和五十四年十月刊 |
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妹が欲しいという願望を小さい時からもっていた。ままごと遊びの中でも、着せ替え系の遊びが好きで、かなり大きな日本人形を抱いて可愛がっていた。
この歌の第二句は句割れになっていて、「雨降る」は終止形として切って読んでほしい。從って「姉と」は句またがりで第三句へつづいてゆく。雨が降りつづくような秋のはじめ、気温もちょうどで体が安らかな頃、折りふしこんな感傷が湧く。「遠世がたり」も特定なものではなく、何ということもない古い記憶の思い出話である。
この歌は「麻の雨」の題で『現代短歌’78』に出した三十首の中にある。作歌したのは前年の秋だから、昭和五十二年のものだ。焼け畑の雨や、野生の猫や原野の草木などもうたわれているのは、転居して、今の家に住みはじめた頃の周辺の雰囲気が反映している。山というより丘であったが、ほとんどが芒原で、見渡すかぎりが多摩の丘陵地であった。
私は新しい企画をまだ公にはしていず、どこか心細いような、これが独立するということなのだ、という感慨などを心にもちながら、秋霖の丘の木立や草を眺めていた。このころよく『古事記』や『日本書紀』を読んでいたので、その影響によるらしい言葉がかなり出てくる。「青玉や緒さえ」とか、「廃太子」とか「速総別」、「衰えし神」などのほか「白斑の鷹」「祭文」などの言葉が一連に親しみにくいわかりにくさを加えているようだ。「遠世がたり」の一首はこれらの最末尾につけてあるので、この歌で、わかりにくさの言いわけをしているようだ。要するにあまり成功していない一連だが、中でこの「麻の葉」の一首だけは今も好んでいる。
小さかる生死無辺にくりかえし夏押し移る朝の土あり
焼け畑に雨降るあわれ人間の無惨に長くかかわりしごと
この頃まだ新かなを使用していた。
*ルビ(生死:しょうじ)
*注:かりん誌文中では『日本書記』となっていのたのを『日本書紀』に改めました。
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