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むくろじの森の冷たさすきとおり魚ともならんひとりを待ちて
『無限花序』昭和四十四年刊
 いわゆる前衛短歌とよばれた運動の最盛期は、ジャーナリズムの方向転換によって昭和三十九年頃から急速な収束期を迎えた。その年六月に草月会館で催された「フェスティバル律」では映画、舞踊、詩劇など多彩なジャンルに踏み込んでの歌人の活動がみられたが、それを最後に総合誌からの注文はなくなり、多くの人が同人誌に拠って作品を発表するようになった。「ジェルナール律」(深作光貞)、「無名鬼」(村上一郎)、「航海者」(坪野哲久)などがその母胎になった。
 私はようやく新しい創作意欲に燃える思いになっていた頃だったので、同じ思いの女性歌人に声をかけ合著で力作五十首の競詠をしようと誘った。古いメモを取り出しでみると、昭和三十九年六月から動き出し、九月二十六日に新宿風月堂で尾崎左永子と会って最終打合せをしている。他のメンバーは大西民子・北沢郁子・山中智恵子で、富小路禎子さんは残念ながら賛成してもらえなかった。原稿の取り立ては私が引き受け、集まったところで、篠弘さんに解説をかいてもらった。
 私は「橋姫」をかいたあと、より象徴的に私のいまを託せるテーマが古代にあると思い、もっとも原点的な、神話イザナミの死と、イザナギの生に焦点を当てた。「ーーふとしたゆきちがいが生んだ蹉跌の中の悔いのような抒情を私はむくろじの森に感じました。・・・これを現在の私への挽歌として、豊かに広い視野に歩み出たいと思うのです」という前詞を附している。無援の個体となった自分の周辺をみつめながら、大潮が引いたあとの空しさや、自分が求めていたものの真偽や、さまざまな新しいものとの出会いなどが持てそうな予感にも満ちて、この合著の上梓に期待をもっていた。むくろじの森は子供の頃よく蝶などを採って遊んだ森だが、その青い光の海を魚になって泳いでいる自分を思い、新しい出会いに賭けている心に待つ恋にも似た情緒をみている。