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楽章の絶えし刹那の明かるさよふるさとは春の雪解なるべし |
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『地下にともる灯』昭和三十四年刊 |
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先月につづく「雪の回想」の最終章の冒頭に置いた一首。第一歌集を出したあとの私は、当然ながら言葉を求めていた。その頃読んだ近藤芳美の歌に「たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき」があり、この「楽章」という言葉の使い方にさわやかな知性の美しさを感じていた。近藤芳美のこの歌はフランス映画の一場面を思わせる劇性もあって、憧れの湧く一首であった。
本来、私は和楽の中で育ってきたが、戦後、急に広がった友人たちはほとんど洋楽派であった。取りあえず戦前のレベルを取り戻そうと音楽論に花が咲く時はまことに孤独だった。しかし、洋楽で舞も舞えるという友や、笛の譜でダンスができるという遊びもあって、洋の東西を越えた面白さに耽る日々もあった。その頃つき合っていた歌人の岩田正は無類の音楽好きで、遊びに行くとまずレコードで音楽を聴くところからはじまる。この小講義は名前や曲名を覚えなければならないので少々やっかいだった。
岩田が好んだのはブラームスで、「交響曲第一番」から始まりいろいろ聴かされたが、なぜだかストラビンスキーやドボルザーク、スメタナを私も好きになり、よく聴いた。昭和二十年代半ば頃のことだ。結婚してからも勤務校の帰りに時間があると喫茶店で一時間くらい歌を作ったりしたが、そこで流れる音楽もいっぱしわかるようになっていた。
この歌を「楽章の」といきなりうたい出したのも、その言葉とともに、音楽そのものが新鮮だったからだ。また、近藤さんが使った言葉を使わせてもらうことに、一語ではあるが本歌取りの意識が働いて、恋愛のテーマにしては失礼だと思い、望郷の歌として作った。イメージにあったのは父からよく聞かされていた奥会津の雪解の季節である。四月の半ばをすぎてようやく雪解けがはじまる。するともう春は急速に訪れ、川のほとりの川柳や田の畦のばんけが顔を出す。道を歩けばどこからも水の流れる音がする。納屋から種袋を取り出すというすべてが明るい季節なのだ。
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